服従を承認するすべての観念との対立

世界が行き着くのは、さまざまな段階を最終的に包括する一つのルールとしての「近代」ではない。複数のまま並存している「現在」である。

ホッブス氏の自然は、「自己認識」が「服従を承認するすべての観念」と対立している。「正義の代替」として、「名誉ないし高慢」と、「恐怖」を導入することによって、この事情を刷新する。名誉の原理と恐怖の原理との間での揺れ動きのなかで、彼の政治学の生成は完成するのである。ホッブス氏は自由主義的理性の近代性解釈をこうして批判した。その証明は、全体主義の否定(アーレント氏・フッサール氏・ウィトゲンシュタイン氏)、ニーチェ氏(力への意志)への前進(脱ー近代)となる。

M・ウェーバー氏はベンジャミン・フランクリン氏を「ビジネスマン」ではなく、「社会的起業家」の登場として「脱ー近代」を「プロ倫」で示した。これは「天職倫理」としての「多元的救済の道」を示し、「経済倫理」(人的資本論)をも拡張したのである。

 

参考

吉本隆明からはじまる」     瀬尾育生 著

ホッブス政治学」      レオ・シュトラウス 著

「解読 ウェーバー」       橋本努 著