言語情報と視覚情報

言葉ではなく、眼で覚える。「Let's think」、それは書くこと。映像で覚えるということは、書くことを誘発し深化する。賢さはこの原理を使ってきた。実験もそれに尽きる。

「対象としての労働」(言語化された労働)から「主体としての労働」(視る合理化)へ。

「構成する過剰」は、「ことば」を置いてくることからくる、現代の弱点である。言葉への依存はすべてをモノ化し、主体を奪い、そして主体を失う。

日本は西欧の受容を「翻訳」(言葉)でしてきた感があるが、本当の幕末・明治は、唐突な渡航(視察)から始まる。そこに上記からする矛盾が生じた。

発話は「盲信の体系」である。言語活動による生活は、必ずしも自分で「正しさ」を確認できないままに受け入れている世界像の上に成り立ち、ただ伝承された言説として受け入れているだけに過ぎない面が多い。

ゆえに現代こそ、創造のため、発想のために、視覚情報とエクリチュールの連動は、あらためて重要である。

 

キーワード:刷新

 

参考

アントニオ・ネグリ」    廣瀬純 著

「西欧化する日本 西欧化できない日本」    三枝博音 著

「日本思想史講座」5ー方法    編集委員  黒住真