他者を使って考える(集団ポータブル)

言葉の意味を直観的に知る。

「まさにみずからの組織の力によって、逆流した個人的責任に代わるべき団体的良心をつくりだすまでには、いまだいたっていないのである」

そして目次だけで本書の凄さを知るなら、その内容は自分の頭で再構築できる。

思考は集団行為である。それはコミュニティの産物であり、特定の個人のものではない。共同してモノを考えるため、チームで活動することが多いのはそれゆえである。そのことは、知能指数より他者と協力する能力によって決まる部分が多いことを知る。

個人の能力を過大評価してはならない。知は集団間移動ができるかぎり、上手く環境内理解にスライドできる。知がポータブルであり、どこでも、初めてでも適応できるのは、どこに行っても必ず先集団があるからである。ゆえに潜在する集団知から間違いをもらうことも、新集団に間違いを与えることもある。

個人レベルでは世界の複雑さに対処できないゆえに、集団は因果的知識を集団記憶するために、共有物として「物語」(理解)の体系(認識)をつくる。

つまり世界は他者を使って考えるゆえに、合理的なのである。集団的狩猟は、イノベーションの本質であり、個人の能力ではなく、選ばれる共有知(共有地)の先取りである。しかし現代のテクノロジーはまだ志向性を共有していない。目指すべき未来(テクノロジー)は個人レベルである。

情報を増やすことは解決策にならない。集団意識が経済を動かすのである。

 

参考

『世界経済危機と「資本論」』    萩原伸次郎 著

「知ってるつもり」無知の科学    スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック 著