普遍言語について

ディオニュシオス 時代のギリシア弁論術の「模倣」は、アリストテレスの抽象的な思弁ではなく、社会的な実用性として尊重された。

では当時、完全な「翻訳」は可能だったのか?

アリストテレス論理学の理解にはギリシア語の知識が不可欠であるが、ギリシア語ギリシア人とともに絶滅している。誰が絶滅したような弱い学 を実用の学として教え学ぶのか?ここには矛盾がある。絶滅するようなギリシャ人は特別な民族ではない。

それならアリストテレスが行ったように、自らの言語に基づいて探求した方がよほど実用的(論理学)である。後生大事に注釈(形式論理学)を施して行く権威主義は、こうして中世においては「論争の種」を「発話行為」(夾雑物)の渦で飲みこんで行く。誰もギリシア人ではない時代に、「翻訳不可能性」はあらわれる。ギリシア人であればそれは伝承であり、実用の学かもしれないが、もはやそれは論理的ではない。

つまりこのような「構造」から、論理学成立以前も以後も、普遍言語の「論争の終結」はあり得ないのが現状である。

 

参考

ロンギノス/ディオニュシオス 「古代文芸論集」   西洋古典叢書

イスラーム哲学とキリスト教中世」Ⅱ実践哲学   竹下政孝山内志朗 編