時間の物象化

「時間」に対する「物神崇拝」がすべての根拠である。

これは「未来」という「貨幣不在の属性」である。「記憶の産業化」は、「仮想形式」を完成させつつある。時間は最後まで「信用の安全装置」に見えてしまうからだ。

信用操作は時間的な未来の先取りだが、時間的な現在にそくしていえば、それは「他者の資本を担保にすること」にほかならない。賭けられているのは、かくてむしろ「社会的資本」である。

ここでは時間が「みずからの資本にではなく、社会的な資本に対して処分権」を与える。しかしたとえこれが「流動性の便宜」としても、「物神崇拝」であることに変わりはないのである。

 

参考

マルクス 資本論の哲学」     熊野純彦 著