非合理の合理性(普遍主義)

貧困研究では、救済対象者の選別と排除を、「選別主義」あるいは「制限主義」と呼び、「普遍主義」的な政策との関係で、たえず議論の的となっている。「個別具体的な個」に対する救済と制限主義は、日本史の文脈のなかでどのようにして登場し、展開したのであろうか?「公的救済」が「個別具体的な個」を対象としていたなら、それは必然的に「個人主義的」な「自己責任論」に堕ちてゆくことになる。

ロシアでは正教異端派である「古儀式派」が、普遍主義的な政策の基礎となり、その救済は市場改革する企業家を漸進させた。工場協会は労働組合へと革命の意味を変質させ、力強さを得て行く。こうしてイデオロギーという政治改革以上の力を影で示したのが、これが弾圧された地下水脈たる古儀式派の「メシアニズム」だったのである。

坂口安吾氏が理解した「キリシタン論」は、自然(自然主義)と和解することではなく、非合理主義とも思われる「実践に転化しうる強さ」を「普遍主義」に置いたところにある。「不合理なるゆえに信じる」という普遍主義は、「合理主義的個人主義」に懐疑を示したのである。

 

参考

「貧困と自己責任の近世日本史」   木下光生 著

「神と革命」   下斗米伸夫 著

坂口安吾論」   柄谷行人 著