平和の記号論(チャリティー)

公共サインは、社会インフラであり、「移動の自由」を保障する。だから、注意喚起もほどほどにして、「視覚汚染」をしてはいけない。なぜならそれも「絵」ではなく、「多言語」だからだ。

 

「痛み」を生きていたのか(救済に値したのか)、演じていたのか(救済に値しなかったのか)というイデオロギーに内在する矛盾こそが、痛みを生きていると認定すれば救済を提供する与え手と、認定されるような痛みを生きて表現してみせる受け手の協働による、感情レベルの「共同体」の(チャリティーの実践を通じた)形成・維持に寄与したのである。この常に「揺らぎを内包する共同性」と、それを支える痛みをめぐる「感情のあり方」はおそらく、物乞いが「キリストの貧者」という想像を強く喚起した前近代とも、物乞いが「公的福祉の失敗」を意味するアイコンとなった現代とも異なる、近世・近代に特徴的な現象なのである。(金澤周作氏)

 

参考

「街の公共サインを点検する」  本田弘之・岩田一成・倉林秀男 著

「痛みと感情のイギリス史」  伊東剛史 後藤はる美 編