失敗と宗教について

出來の良い社会なら、成功者など必要ないし、生まれもしない。出来の悪い社会だから、成功者と失敗者に分かれるのである。

成功者でもないくせに人の「失敗」を喜び笑う者や、煩悩から「解脱」させてやると言い、人の煩悩を巧みに操る宗教に対し、翻訳の問題と西洋思想の影響を考える。

 

1、まず「独座の瞑想」という訳は、「宴座」「宴黙」と訳される。黙っていられぬ人間はコミュニケーション能力以下である。翻訳とは人間良心の暗黙の了解を示す高度である。

2、先住民の実態と移住民族の経過の詳細は、今日不明である。先住民が遊牧民、漂浪民となっていることもある。

3、西洋がキリスト教の最終審判に代表される終末論であるのに対し、東洋は業の思想によって「終わりなきことへの恐怖」、すなわち輪廻転生のリゴリズムを打ち立てた。

4、では個人の行為重視(業因果説)が、いかに社会の説明へと連なるか?

もし業を後ろ向きに考えれば、厭世観や宿命論への転落は免れない。

 

参考

「古代インド哲学史概説」   金岡秀友 著