『創造行為と言う「ゆとり」』、その余計(余白的)な精神的意味について

余白は内的な創造を外部との関係作用のもとに超越させる。この余白が「伝わる響き」の余地(新しい超越空間)である。この空間は無限性という関わりを視覚化する。

高松次郎 ≪紐、またはオードリー・ヘップバーンのプロファイルに関する反実在性について≫1963年は、≪点≫1961年の鳥の巣のような「不在への回路」から生まれる。「穴と鏡と影」のチューブ的造形は、フーコー氏の「言葉と物」を明らかに読解し、次元を上げている。

世界拡大計画としてのこの不在性は、反実在性という無規定的に不案内な未知性への招待という余白(ゆとり・余裕)造りの可能性である。無関係性の開かれた世界は、現実の混乱を「夢機能」(フロイト氏)のようにみごとに整理する。

そしてこの「夢の語り」は、デュシャン氏の策略である「発見的並行論」と同じである。基本的並行主義はキュビストの策略でもあったからだ。

 

参考

「余白の芸術」   禹煥 著

高松次郎 言葉ともの」日本の現代美術1961-72   光田由理 著

マルセル・デュシャン」絵画唯名論をめぐって   ティエリー・ド・デューヴ 著