限界を示すあらたな啓示

ニールス・ボーア氏は、「量子論」において「視覚情報」を捨てた。「強い相互作用」と「弱い相互作用」が視覚では表現できないからだ。このことは賢明な選択であった。その理由は以下に示す。

幾何学の点は、我々のイメージでは「沈黙」と「発言」であり、最大の、この上なく独特な結合である。それゆえ、幾何学の点の物質的な形態は、まず第一に「文字」に見出される。それは言語に属しており沈黙を意味する。点は「途絶・非存在」として、一つの存在から別の存在への橋渡しともなる。文字においてそれは「内的な意味」である。しかし文字は通常「外的な記号」という慣習となり、シンボルの持つ内的な響きを覆い隠されている。点は黙って発言しない伝統的な響きを持った狭い範囲の慣習現象に属するが、沈黙の響きは非常に大きく、他の特性を完全に圧倒する力を持つ。点は黙り込むが完全に失うということはない。最後はやはり求心的である。

点を離れ、平面からは「運動の意欲」がなくなる。しかし内的な理由は存在している。点は可能性に満ちた内的存在だからだ。平面では外面の力が求心的な緊張を相対的に低下させる。

そして「白と黒」は、「図式的な線」であるが、求心性(中心)が薄いために、「反復不可能な反転」である。こうして「地ー平面」はあらたに「表面処理」へと向かう。そしてそれは表面を視覚的に消滅させることにも役立つ。

ここから「浮遊感覚」が生まれる。観察者の内的な態度にも依存するものであっても、観察者の目は一も他も、あるいは両方見ることができるのである。

アンリ・ベルクソン氏は見ていた。不動化および固定化という「マンガの限界」をあえて引き受けることで、人間が「見る」という行為一般の限界を改めて指摘する試みは、「流動性」を啓示させようとしたのである。つまり「マンガと見なす」試み、「マンガとして読む」試みを人々に豊かに提供してきたのである。

 

キーワード:物質 視覚 言語 ページ

 

参考

「点と線から面へ」  ヴァシリー・カンディンスキー 著

「マンガ視覚文化論」見る、聞く、語る   鈴木雅雄+中田健太郎 編