日本語思考(反省以前)

「かなし」という、「自分の力ではとても及ばないと感じる切なさ」は、他者に向かって、「あわれだ・かわいそうだ」と言う意味に使われ、反射的に「悲しむ」という「悲」は、「慈悲」になっている。ゆえに「いたわり」「あわれみ」「いたみ」は、「かなしみ」のあり方である。

つまり「たましい」とは、肝心な何ものかでありながら、自力で現実に手を触れえるものではない、と言う事である。

哲学は、「反省以前の人間の自己理解を明らかにしようとする学問」(和辻哲郎)。ゆえに日本人でありながらも、日本語でなされる考古学的作業は絶対不可欠である。

日本語にあらためて「気づく」ということは、「格差・分配の社会政策、再分配政策は予算分配のパイが小さくなった時点で期待されていること」に気づく事と同じであることを知るべきである。格差是正は、一通りの配分が終わった後に「捻り出す」予算ではなく、中心予算でなければならない先行与件である。

今や社会は、仕事を作り出すよりも商品を作り出す方がはるかに巧みになってきている。「仕事」から追い立てる意図的な福祉戦略、そういった苛立たしい異常事態もつくりだされている。

このように反省以前の「ポピュリズム」に押し流されないためにも、合理的な言語の「悪意」を、正しい日本語で思考し、暴くべきである。

 

キーワード:古今和歌集 歎異抄 政治予算 消費社会 市民社会

 

参考

やまと言葉で〈日本〉を思想する」   竹内整一 著

「実証政治学構築への道」   猪口孝 著

「〈私たち〉の場所」   ベンジャミン・R・バーバー 著