二重の法(物理と私)

私を世界に連れ戻す。それは陰陽の割裂としての昼と夜。導関数にあたるものがほかにも存在する。計算できないものが「接線」として確かに存在する。

「われわれの目が触れ合うときは、昼か夜か?」眼差しは見えない夜に直接触れ合っていると言えるのか?

この夜という闇が接触を中断する間隔化=空間化という誰のものでもない用域性空となる。これは接触するよりも間違いなく接触している。自らを中断しつつ自らに触れることに成功する。自己現前のための虚構の観念を存在させる。この虚構は共通性に抵抗している。ただ多様性として際限なく更新することができるだけだ。

この接触なき接触は「法」である。一つの節度ある知のあり方だ。ここにも限りない近似(接線)が存在する。これは人間に取って、きわめて有用なあり方(存在論)となった。

「触れなければならない、何よりも触れてはならないという、二重の法」これが知の形態である。

 

参考

「もの、言葉、思考」   三上真司 著

『「算木」を超えた男』   王青翔 著

「触覚、」   ジャック・デリダ 著