「形式上の個人」と「事実上の個人」

本書は解放感をめぐる冒険である。

共同体の姿をまね、本当の共同体をゼロからつくると約束しながら、実際には、そうした共同体の形成を妨害する個人は確かにいる。

「形式上の個人」を待つ運命と、「事実上の個人」の運命のあいだの渡りきれない、あるいは渡りきれるとは到底思えない亀裂から生じる苦痛を鎮静してくれる祝祭は本当にあるのか?

日常生活において、私たちは個人になることを迫られ、多くの人びとは「形式上の個人」となる。それは、「不幸をだれのせいにもできないこと、挫折をみずからの怠惰以外のせいにできないこと、救済手段を努力以外に見出せないこと」である。

しかし運命をみずから決定し、真の選択ができる「事実上の個人」になることは、決してできない「相談」ではない。

 

参考

「ロックフェスの社会学」個人化社会における祝祭をめぐって    永井純一 著