実現の本質

自分に不幸を望んでいる人はいないと思いますが、不幸にして思っていることはすべて実現します。偶然とはそれに気づかないことで、良い事を思っていればそれは幸運を呼びますが、悪い事を思考すれば不幸を実現します。人は自分が考えている通りの人間になります。それ以上でもそれ以下でもありません。他者は関係ありません。だから他者を引き合いに出すのは間違いです。

いよいよ本質に迫る時が来ました。

よく道徳的なことを口にする人がいますが、それが人に向けられているように見えるときは「非難」です。そしてそれは自分にも該当します。いや、むしろそれは自分自身の思考の表れですから、自分自身にしか該当していないと言えるでしょう。分かっている口ぶりの人は、その非難を向けた人に対してではなく、自分自身に不道徳を命令しているのです。相手など存在しません、それは自分に実現している本性です。そうでなければ「道徳」など誰にでも言えるし、「先に言った者勝ち」になるからです。「揚げ足取り」も同じです。それは「実現」している自分(本性)であるから、言う事(パロール)に気をつけないと、どんどんその本性は自分の中に矛盾的に実現され、自分に悪意を向け、直接自己を傷つけることになるでしょう。なぜなら自分が知っている事しか人は知りえないのですから、自分自身がそうでなければ、人が他者の本性を透視するなどという芸当など、できるわけがないからです。自分がそうだから思いつくのであり、それが「射影」されているのです。

「世界は自分が考えた通りになりますが、客観など存在しません。ただ自分自身がいるだけです。」

自分は自分が考えている通りの人間でしかありえません(デカルト省察)。

ゆえに人文科学は「きれい事」を書きます。性善説を取り、批評ではなく、新しい評価を作ろうとします。自分自身が「腐らない」ことが、即社会(自己環境)だからです。自己幸福のために「策」を凝らすのです。しかし現代科学は「客観を措定しているため」に上記の罠に、より陥りがちになりました。「すべては自分」であるという感覚が薄れ、力学的エネルギーですべてを操作・破壊・支配できると考えがちですが、最初も最後も所詮自分ですから、良い事を考えながら創造力を適用しないと、それは自分を確実に滅ぼします。

「終わりよければすべて良し」とは最後に「記憶がすべて良く書き換えられ」(すべて良い思い出に整う)(エクリチュール)、平安な気持ちで迎えられるかどうかという事なのです。つまり「成功哲学」のすべては、ビジネスについてではなく、人生について語っているのです。

 

キーワード:現実(ーパロール) 実現(+エクリチュール) 黙示録