読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヒストリーとストーリー

「告白」の世俗的意味は、「参りました」という、相手に対する「完全敗北」宣言である。しかし相手も実はそうだったということで、それは不思議と実る。そうして敗北したお互いの魅力は、尊重と成長の糧(相乗効果)となる。恋愛の修辞学である。

しかしここから過去のアウグスティヌス時代の「告白」にバックトゥ―ザフューチャーする。

告白はかつて懺悔する場所であった。煩悩の罪を告白する場所は、神に敗北し罪びととして支配される歴史である。フローベール氏はその意味で対位する。しかし徐々に人々は社会性を持ち、現代的苦悩の告白を「人」が聞くようになる。これがコミュニケーションといえば聞こえはいいが、そこにはミシェル・フーコー氏が示した様々な矛盾としての展開がある。

人の話を聞く人間は後にカウンセラーと呼ばれるが、それでも感情移入する危険に陥る。だから来談者中心療法などが生まれた。人はこうして社会問題や個人的な問題を周囲と分かちあう。個人のストレスが先か、社会化ゆえのストレスが先か、集団としての人間関係が問題なのか良くはわからないが、同時発生と言える。このカウンセラーの前身が呪術師や占い師や信仰という洗脳である。人はすべてを信用すると赤裸に守秘義務を超えて人のことも自分のプライバシーも語ってしまう。こうしてそれを巧みに利用する者が現われる。現代のダウンロードやクリックとう詐欺もその裏を知った延長線上にある。

しかし人の話をタダで聞く人はいない。自己の利益にし、自らを語り始める。最初は理解者だと思った人間が徐々に支配者となる。なにもかも知った人物は、誰にでも自分の順位を上げるために悪口や弱点を広げ、支配としての「排除」と「集団」をうまいさじ加減で同時に手に入れる。

話を聞く人間は、人に話す人間である。特に人間を語る人間は、人間の弱さを為政者に支配される。

予言者ではなく支配者であるが、その「みすぼらし姿」を見るのは相手を信用させる低さの見せかけである。理性的に整理整頓できていないその人物像は引き出しの中を見ればわかる。魔法使いのように得体のしれない物が出てくるであろう。鍋にでも入れる魔法使いか錬金術師のように。

 

キーワード:うまい話と出来のいいヒストリー(建前)の裏側

 

 

キーワード:ミシェル・フーコー ギュスターヴ・フローベール ジークムント・フロイト