無償と中庸(孔子論)

私は、例えばモーツアルトを知ることで、自分を大きく見せようとする時代屋の他力本願足る教養主義とは無縁である。むしろその手のサークルに加わりたくないと言うのが本音である。私はむしろ今まで、自分が凄い、天才だと思える人間をひた隠しにしてきた。それがウラジーミルイリイチレーニン氏とカール・バルト氏である。それはいまだにあまり評判は良くない。しかし私は小林秀雄氏がレーニン氏を熟読していたということで、その文章が今もよくわかるのである。たぶん二者は思想家というより「文章力」のある人間だったのだと思う。それは時代を越える「文章力」であるから、いつか甦る。いや、今も実は誰かがその文章力を影で活かしているのかもしれない。そういうことから私は、教養主義であるよりも、彼ら二者の掘り起こしに力を貸せればと思うのである。これは今の私になんのメリットも与えないが、将来のために、そうせずにはいられないのである。だれを復活させようと多様な時代においては悪影響などないからだ。むしろ批して無価値とする方が残酷な世の中へ収斂してゆくように思えて仕方ないからだ。誰にでも「中庸」(孔子)な居場所が与えられてしかるべきだからだ。