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女性の登場(シェイクスピアの現代性)

本書は秀逸である。

イギリス演劇が「パトロン」を得てかつ、公衆劇場や巡業の「商売化」が許されたのは、宮廷での上演なための「リハーサル」という名目が立てられたからである。「文盲の時代」と「高等教育改革」は当時、新奇過ぎて職口のない才能を取り込んで行く。

しかしキリスト教の文盲打破政策(聖書普及)を持ってしても、イギリスだけは舞台に「女優」を立たせることができず少年俳優が女役を演じていた。このフィクションは現代的にも性倒錯をもたらすが、支配階級と大衆文化の融合に大きく寄与する。

シェイクスピアが「大衆文化」という仕掛けを企てなければならなかったのは、女優を立てられなかったからである。本物の女性の思いを「少年俳優」で観客に説得力を持って舞台で表象させるためには、大衆文化を導入するしかなかったのである。ポピュラーとは「普通の人」であり、それがエリート文化を大衆の娯楽をして、融和を図ったのである。

少年俳優が演じる「偽物」の女性が「平等」と大衆文化へのエクリチュールとして開いた瞬間である。エリート文化の登場人物が抱える問題をこの大衆文化の表現を用いた魅力的な女性が、文化の境界線を無くしていったのである。支配層の文化に疑問を投げかける「役割」はこうして誕生した。

ハムレットは大衆が「死」においては誰も違いがないこと示した。墓堀人の歌「メメント・モリ」は少年俳優が演じる「オフィーリアとガートルード」の表象である。こうして複雑で多面的な女性をはじめて歴史に加えることができたのである。

 

参考

シェイクスピア劇の〈女〉たち」少年俳優とエリザベス朝の大衆文化   楠明子 著