解離

フォークロアの本質を知っている者はそれを危惧する。戦時下も占領下も政治と民俗学は国策科学として成立するからだ。

本来民俗学は「公民の民俗学」・「経世済民の学」であった。しかしそれを掘り起こしにおいて失敗した場合、「狩猟伝承論」の「異常心理」へと偏向されてきた。

狩猟はスリルと興奮を与えた。獲物は腹を割かれキモ(内蔵)は山の神に感謝と次の発見を祈る儀礼を持って捧げられていた。内臓には魂や精神が宿ると考えられていたからだ。ここから人の「切腹の話」へ、「生命線」は深層されてゆく。内臓の抽象化は、内臓器の露呈という三島由紀夫氏の「切腹」のような奇に思いつくのである。

内臓を露呈するということはよく「奇譚クラブ」等の猟奇的雑誌の先駆に扱われた。サブカルチャーを持って民俗学を語ることは現代思想や社会科学でもまだ「学問」のような体裁で語られているが、このブームには「ネット右翼」等の危険が誕生することを本書も十分警戒している。

その後「内臓露呈の神事」を伴わない儀式化はやがて「刑罰」へとなってゆく。ここら辺の記述は、ミシェル・フーコー氏の「生政治」の着目点に近い。狂気⇒監視・処罰⇒生政治の流れである。つまり人の「心」が、ある種の「精神」になると、それは途端に理解しがたくなるのである。

つまり「臨床医学の誕生」には、神話や語りの始まりにまず「異常心理」があり、「変態心理学」的民俗学への道しかなくなっていたことを世界戦場は示す。

ここではじめて現代の異常心理である殺生が戦争の残酷・残虐と結びつくのである。この時点で生きるための動物行動学の集団とは完全に「解離」する。

これは公民の民俗学でも経世済民の学でもない、「たたかいの原像」であり、贈与を伴わない「戦争の民俗学」(墓場の民俗学)である。つまり「頽廃」にいたるこの掘り起こし(利用)が、「ゾンビ哲学」(妖怪・怪物)を生んだムーブメントと考えられるのである。

 

キーワード:反知性主義 ヘイトスピーチ ネット右翼

 

参考

「殺生と戦争の民俗学柳田國男千葉徳爾    大塚英志 著