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新・二足の草鞋(労働と社会性)

クロード・レヴィ=ストロース氏は、日本を訪れ、日本文化を高く評価する。西欧社会における「労働」は神が与えた人間への罰(神との契約?)である(ユダヤキリスト教的な伝統)。そしてそれは売買可能なものであり、市場の機能を通し均質化されるものとした。

しかし日本の「仕事」は聖なる感情が保持されており、「労働」を通じて神との接触が成り立っている、と彼は見た。これは西欧では思いもつかない「創造力」である。欧米で仕事の外に余暇やお金を求めるのは、生活のためではなく、その罰に対する反感情である。ゆえに日本においては、別の仕事を希求することは、2足の草鞋を可能にする豊かさであり、罰(受動)ではない。

 デイヴィッド・ヒューム氏は「人間本性論」のなかでこう言っている。

われわれは「彼らが実際に挨拶したり話しかけたりしている人とは別の人に言葉を当てている」と想像する、これが「やぶにらみの人びと」の不道徳と呼ばれるものである。

 「相互に認め合う」ということはメタ倫理的立場に立つことではないことを、ピーター・フレデリック・ストローソン氏やジョン・ラングショー・オースティン氏の発話行為(言語行為)は、「契約主義」の基礎として改めて示しているのである(二人称的観点)。

つまり人間は「二足の草鞋」を持って社会を、「わたし」ー「あなた」ー「わたし」と正しく相互認識するのである

 

キーワード:二足の草鞋 

 

 参考

「工芸の教育」   大坪圭輔 著

「二人称的観点の倫理学」道徳・尊敬・責任   スティ―ヴン・ダーウォル 著

日本語能力試験公式問題集」