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個人の分析を超越する(同士)

「物語」に影響を受けて人生を選択した人は多い。マンガ・ドラマ・映画・小説、物語は必ずしもサクセス・ストーリーとなる保証はないが、動機付けとしては、学歴より崇高である。そこには間違いなく「志の構造」があるからだ。

人生は因果的決定論ではない。個人の分析を超えている「自由な主体」である。その決められ方が因果関係でしかないなら、われわれは決して同士ではない。

決められ方は完全に分離され「他者の営み」へと外在的に持ち出されてしまうものではない。主体の人格性と内在的かつ継続的にかかわり続ける物語である。実質それは本人が自分の物語を自分で語れるかどうかの違いに関わってくる。

つまり物語は、自分がしたこと、自分に起こったこと、自分が目撃したことについて、ある種の説明を与えるようにと要求するものである。そしてもしそれが個人の分析を超えていれば、それは不合理を超えていることになる。

 

参考

「不合理性の哲学」利己的なわれわれはなぜ協調できるのか   中村隆文 著