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ありふれたものの変容(開発経済学の貧困問題)

もはや歴史ではない。

そういう時流かもしれない。民俗学や人類学も史実を提示するだけでナラティヴの創造を強く禁じている。なぜなら世の中は「視覚時代」であり、それはあまりに「多元化」し、歴史的に説明するのは困難であり、見たままであるとしか言いようのない世界だからである。そしてこれこそ科学の得意とする方法論の時代でもある。

ポスト・ヒストリカルの時代、それは「適切な類似物がある」という時代であるが、どこにでもあるが、どこにもないという時代の彷徨でもある。

この「ありふれたものの変容」に貧困問題は存在しないかのような「可能性と喜劇」もあるが、その本質は誤解されている。大したものでもない事・モノが、次の時代として塗り替えられようとするとき、そこには必ず権威としての汚職がいつもつきまとうからだ。これは進歩という虚偽の側面では見えにくく、特に開発経済学の側面でいつもあらわれる「権限委譲」という「貧困」問題である。汚職の継続性は「ありふれたものの変容」期に権威付けが起こり「権限委譲」という官民の双方で現れるという傾向性である。

 

参考

「芸術の終焉のあと」現代芸術と歴史の境界   アーサー・C・ダントリ― 著

「貧困と闘う知」教育、医療、金融、ガバナンス    エステル・デュフロ 著