人類学

「謝るとき、人は誰でも主人公。」

「謝罪の神様」は、「人に謝る」ことではなく、「自分に謝る」ことで、はじめて「成長」できることを教える。謝ることは社交や外交ではない。コミュニケーションという人に向けた、外に向けたノンバーバルな表現ではない。なぜなら文化人類学は、アメリカにはアメリカの、日本には日本の所作があり、その表現は万国共通ではなく、むしろ万国的に「差異」があることを「平等」に教え、認めている。ゆえに謝罪についての「所作」を外に向けるものと考えるなら、それは「嘘」という「移転」あるいは「演技」に近い。

謝罪、それは外に向けられるものではなく、「自分に謝罪」(自己を許し解放)することから真の反省と成長が生まれ、「人類学」が進むことを意味する。人の所為にしない、平等としての人の扱いを理解することは、「人に与えた主体」あるいは「奪われた主体」から、「自己の主体」を初めて取り戻す長い人生の道のりだからだ。

 

キーワード:内面に向けて自分にしかわからないことを理解し超越すること

 

 参考

映画「謝罪の王様」 宮藤官九郎 監督作品