連続性と計算可能性

「連続体問題」は「集合論」にとって、21世紀への大きな課題である。集合の存在を考えて行くということは、「創造の自由性」にあるからだ。

経済と社会の変化には連続性があるように見えるが、それは集合論的な連続性にしか見えない。社会諸過程の多数性における「結合の切断」と「分離」にすら、「退出」と「告発」の相互作用があり、「反動のレトリック」も存在する。そしてそれらは「多様化」する進歩のレトリックである。

まるで「同時性」の問題は、「連続性」の問題のように見える。しかしこの重要な所与性は、「身体」という独自の配置性から生まれている。「仮想体験」である「実数」もこの「心」と「身体」の連続性に支えられていることは間違いない。集合的でありなが「自意識」であることが、保証されているかのように見えるからだ。

脳の「分散システム」も局在論的ではなく集団的であるから、それが連続的に「間主観的」な「事象的世界観」を「脱構築的」に連続性で支えている考えることは、この事からも矛盾しないと私には思えるのである。

 

参考

数学基礎論」   前原昭二/竹内外史 著

「方法としての自己破壊」〈現実的可能性〉を求めて  アルバート・O・ハーシュマン 著

「越境する脳」ブレイン・マシン・インターフェイスの最前線   ミゲル・ニコレリス 著

広松渉著作集」第十五巻  広松渉 著