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ディフェンス力とは何か?(普通であるということ)

良い事がなんであるかは難しい。あの哲人カントですら定義できていない。しかし悪いことはほぼ「数値化」(科学)され決まっている。

つまり自分が良い事をしていると言うのは「心理学」であり、思い込みの「ボルテージ」である。良い事は客観的事象ではない。だから戦争や犯罪やいじめや不健康はなくならないのである。

人間が無意識に、心理的に「バランス」を取ろうとすることは知られている。しかしそれが心理である以上、良い事をした、良い事をしているとあまり強く思い込んでいると、そのバランスを心理的に取り戻そうとして「少し悪」に傾斜してゆく。普通に戻ろうとするのだ。そしてそれがアンバランスという客観の結末、悪という罪を社会的に、自己が客観化(体現)してしまうのである。「自己防衛力」はその時弱まる。真面目で良い人間に間がさして罪が生まれるのではない。良い事をしていると言う心理的「増幅」がバランスの「差異」となり、自分が「罪を犯さない」と言う自己の「ディフェンス力」を弱めてしまうのである。

健康運動のリバウンドはこうして生まれる。自己により運動に、心理的評価が与えられすぎるから、その健康に良い事は客観的に身体に悪い事として引き戻され数値化されるのである。つまり良いことは政策や評価のように数値化されにくい心理学から始まり不幸(科学的数値)で終わっている。

世の中に良いと言われることが溢れ始めている。それを自己が心理的に過大評価すれば、それはアンバランスとして人に対し、ますます罪深い世の中となるとは、まさにこういうことである。

自分は良い事をしている、努力しているという人間に「罪」が忍び寄り巣食うのは、まさに科学ではなく心理なのである。現代、数値化されているのはその結果だけである。

 

参考

フジテレビ 「ホンマでっか!?TV」