眼と一般相対性理論

重力レンズ」は「相対論」を遡及する。

視覚は必ずしも正しくない。それは知識と仮定が非常に多くのものを付加するからだ。ゆえに像に直接関係づけることはできない。しかしそれゆえにその像によって直接制約されない。視覚は頻繁に虚構を生み出すが、その本来の不十分さゆえに有益でもあるが、見る事(イメージング)から「錯視」を含め、その確実性を探求する科学には絶えず危険がある。

「知識の仮説」としての科学は「予測的」であって、隠された特性や未来に対して、感覚によって経験された事実ではなく、それ以上のものだからだ。知覚にとってもこの予測は「進化」とともに重要であったが、それは危険のなかにある「予防と創造力」を授けたが、危険な中での自由であることに変わりはない。

科学の仮説性は相対論から生まれた。それは「同時並行処理」であるが、「反射と屈折」(偏光)という時空の「ブレ」(遅延)から生み出された「重力」レンズ(ピンホール)のようなものだ。仮説は曖昧にある。眼はたとえ実際に存在しなくてもエッジ(マッハの帯)を思惟経済としてつくりだし、脳への信号を減らした。

物体認知が内的3次元をつくりださなくても、2次元初期スケッチでたりることも、その例である。また「光の自動運動」も相対論を位置づける。「視覚失認」は「感覚信号の意味の失認」が、「対象そのものの認識喪失」であることを示す「メタ認知」機構の好例である。この失認は顔全体をみるのではなく、いわば人相学的な見方であり、どんな風景や光景は何も意味をなさないことを示す「局所論」である。

たとえば「鏡像」は、先回りしているという「意味」である。つまり科学の本質的力は、感覚をはるかに超えて、知識を拡張するのである。しかしそれは「まとめサイト」と同じように「信頼できる」とは程遠いことも覚えておかなければならない真実である。

 

参考

「脳と視覚」グレゴリーの視覚心理学   リチャード・L・グレゴリー 著