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「先取り」と「先回り」について

フッサール氏もデリダ氏も「発生の問題」からスタートする。

いかにして基盤の「起源性」が「アプリオリ」な綜合でありうるのか?「先行性」とはいかなるものなのか?たぶん「発生」は、「意味」ではない。

現代、発生の「時間性」は、「先取り」なのか、「先回り」なのか?私にすれば、ここが研究の肝だから、共約不可能性や言語論的転回で素通りして行くことはできない。

バシュラール氏とベルグソン氏は「先取り」を「出し抜く破壊」(不調和の不意打ち)と考え、「先回り」を「調和への橋渡し」(事前準備・基盤整備)と考える。つまり「転ばぬ先の杖」は、先行する必然を持つのである。もし「認識」がそうでなければ先行性は、人類にとって有効とは誰も認めない「人間性」だからである。しかも、この「転ばぬ先の杖」は、「有機体」に有効に循環し拡張する共生・共有のものだからだ。

村上陽一郎氏の「安全学」は、近代「所有権」を有した科学理論に、この「先取り的世俗」(略奪・排除)に対し、先回りできる「綜合」(融合・拡張)としての、「科学革命」の認識の先行性を説く。

最小作用の原理」は、「最短作用の原理」という「破滅の理論」ではなく、「生存延長の原理」(パス)であるからだ。

本物の科学は、「未来永劫の継続」を「限りなく予見」できる「実現性」である。

 

参考

フッサール哲学における発生の問題」   ジャック・デリダ 著

ベルグソンバシュラール」   マリー・カリウ 著

村上陽一郎の科学論」批判と応答     柿原泰 加藤茂生 川田勝 編