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「先回りする意識」の誕生

先験的「知識」があるのか、先験的「意識」があるのか?「先回り」することが有利であることは知られている。しかし無駄な努力をただ時間的に積み重ねても、人に先行しても、勝てないことは知られている。ならば「策」とはどのような意識から発想されるのか?なぜ人間には、経験を先回りする意識が生まれたのか?

アプリオリ」と「アポステリオリ」の論争は古くからある。「自由学芸」の正統を歩んだものなら、「神の存在証明論」からカント氏の先験論・経験論・超越論が「存在論と認識論」、「観念論と経験論」の基礎に息づいていることを知っている。

「ルーカス批判」はこの人文科学と量子論(物理学)の双方に投げかかられた「意識」である。「数学基礎論」もフッサール氏の「内的時間意識の現象学」も「実在論」を「科学哲学」の射程とする。

私たちは「遺伝子的」に「進化」したが、その「過去」を知っているのか?「宇宙開闢」を生きて来たのか?どうして「先回りする意識」は、「実在」よりも先に「脳科学」の「対象」としてあるのか?「記憶」とは何か?「イノベーション」とは何か?「危険回避」や「予防」の思想はどこから来たのか?「他者論」や「共生論」や「多様性論」は、この先回りの意識を「支え」とするものなのか?「事前」と「事後」では、何が違うのか?「情報共有」と「情報公開」は、この「先回り」に「不意打ち」されないのだろうか?「自己言及的」と「自己組織化」、そして「影響」とは何か?「干渉」とは何か?「民意」とは?「指導者」とは?

最小作用の原理」は、この「先回りする意識」なのか?その「正当性」は、「自動的」に「主体的」に「客観的」に、「ユートピア」や「黄金郷」を正確に「イメージ」し、「シミュレーション」し「実現」できるのだろうか?

先は長く、人生は短い。そして人にはそれ相当の過去が必ずある。