経済思想史(選択と集中)

「限界効用理論」は、「古典派経済学」に対して「近代経済学」を創始した。そしてこれは「科学革命」である。なぜならそれは、「労働価値説」に代わる「価値」の根源に対する新しい考え方で、それは「自由と平等」、「多様性の概念」を「近代思想史」として生み出した。

がしかし、ここに人間意識としての「排除」が、矛盾した概念として成長するのである。

合理論(ミクロ経済学マクロ経済学は選択から始まる。しかしそれは精度とともに狭くなる。機械化は初期資本のブルジョアを後押しする。選択は集中しながら大量生産と平等の欲望(中産階級)に結実して行く。これは上手い倫理的なまとめ方だった。人とは違うものを求めていた人も居たはずだからだ。

しかし選択と集中は「解」である科学イメージを人に与えた。「分業」は「共生」として正当化された。それゆえに試験解答は選択問題(レコード)になっている。無意味な選択肢(算術的冗長性)は正解のために必要とされ、無用の節約(プロテスト)を意識的に増幅させた。「実にムダが多い」(母集団)という選択肢を、多くの人は知りながらの「あえての選択」、という「選別」の矛盾がここから始まる。本来選択は「解」探しではなく、多様性の認識である。大前提としての「起源」は、「貨幣」のようにここで消え去る。多様性が選択肢の創造とは思えなくなる逆転が生じるのである。金融資本の登場である。

こうしてブルジョアがイメージした多様性と豊かさとしての「ゆとり」は、プロテスタントにより「規範選択性」としての「節約」から線形「蓄積」となり、資本の多様性を狭くして行く。

そして現代、このせめぎ合いの中で、「棲み分け的多様性」と「選択と集中」、「ニッチ戦略」や「イノベーション」などの様々な概念が、曖昧な中で誕生し錯綜している。