「排除」から生まれた弱体について(目標喪失)

本書は秀逸である。

成果主義」は、「成果を出した人が報われる制度」ではなく、「成果を出さなかったことを理由に報酬を下げることができる制度」としての性質を帯びるものとなった。先行きの見えない時代に、「成果」などという都合のいい目標などあるはずもなく、何が成果かわからなくなっている時代に、ただ人件費が利益を圧迫するのを回避したかったからだ。では企業の目標もアイデアも無いまま、人事はなにを根拠に才能(採用)の基準を見出したのであろうか?それはただ選べる「母集団」の拡大(確率?)を目指した。才能が何か企業も分からない中、より多くの応募者を集めることだけに奔走し、それを排除の法則で押し進め、残った者がより優秀であると思い込もうとしたのである。理想の社員は目標があってはじめて先輩の背中を見て昇進を積み上げるが、根拠のない排除から選別(選抜ではない)から選ばれた者に、コミュニケーションがないのは当然の帰結である。10年先の目標も無いまま、社員が目標を持って自然にコミュニケーションするわけがないのである。こうして組織力は低下し、CEOの金融力だけが株式主義を抑え、ますます目標を失い、弱体化したのである。これは学力低下の問題ではなく、産官学の悪循環である。こうして残ったのは根拠のない排除と、自分の価値がわからぬ社会制度の誕生である。才能など伸ばしようがない。今ある穴埋めで雇われている現在は、こうして生まれた。もう一度言おう、何を根拠に選ぶのか?母集団(?)を増やし、確率(?)を高め、排除した結果が、才能ある者たちなのだろうか。企業の意識低下とコンプライアンス低下は、明らかにこの根拠なき「排除の法則」による悪循環にある。悲しい事だが、誰も選ばれていないし、必要とされていない、殺伐とした風景が今拡がっているのである。

 

参考

「破壊と創造の人事」これから10年、人事戦略はこう変わる    楠田祐 大島由起子 著