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形の運命は、あらかじめ決定されているものでも、遅かれ早かれ「あきらめ」が襲ってくるものでもない。形は命を持つ限り、自在のメタモルフォーズを繰り返しながら、絶え間なくみずからの必然から「自由」へと向かう。形は形であることで気前がよい。その大きな度量とは「自由」である。

見ることも触れることもままならなかった形の世界は、確かな手ごたえで出現する、それが「書く」ということの発見である。

物の兆しとして現れてくるのは、物に直接触れるときではなく、言葉として触れてくるのである。それは意味の織布そのものの上にあらわれる。意味そのものを待ち望んでいるからだ。

いかなる形にも定められない存在として用意された庭。

庭こそ形で判断されるべきものではない。むしろ存在することのある「種」の幸福、それを翻訳することができるかどうかで判断される。庭に「不測の事態」などない。生はノスタルジーを寄せつけない。そこには到来すべき過去などない。

 

参考

「見る悦び」形の生態誌     杉本秀太郎 著

「動いている庭」     ジル・クレマン 著