自己犠牲の観察者

当時の「パノプティコン」という制度的現実を、ベンサム氏の複雑な思想のもとで考える。それはこの学位論文の「あとがき」にあり、私の見解も昔から同じように構築されている。

ミル氏やトクヴィル氏が示した、多数者専制と民主的見解統一の危険性を、民衆をいわば「自己犠牲の観察者」という位置に置く体制が内包する専制の危険、と読んだ。

つまり「犠牲を決断した政治的態度」は、「世論の祭壇」に「少数者」を犠牲として捧げることで、あらゆる「対立の痕跡」を「人為的に消し去る」ことで終わる。この制度的次元は、「代議制的絶対主義」に通ずる構築になっている。そしてこれが「民衆の自己透明性」という「幻想」のもとで、あらゆる法的政治的慎慮の現れを「押しつぶす」ということによって特徴づけられるのである。

 

キーワード:自己犠牲の観察者

 

参考

「哲学的急進主義の成立Ⅱ」最大幸福主義理論の進展1789ー1815年     エリー・アレヴィ 著