所作の所作

仏教語としての「異類」は、「どこまでを同類と見るかは、客観的な基準によるものではなく、どこまで同類として受け止められるかという、他者との関係の持ち方の問題」の中にあるという視点から、明確に分かれるものや自明のものではないと思われていた。つまりコミュニケーション可能な「同類」とは何かというところでたえず揺れていたのである。そこから「所作の所作」が予定された。何かを真似る行為を「所作」と考えるのである。真似る、ふりをしているだけと認識されながら、行為の当事者と受け手、真似る対象と言った全体を巻き込み、世界に作用を及ぼすのだ。この技は、スサノヲの振動音を「打ち消す態度」が、発生源を異にする振動と振動とが波長を同じくし、「共振し合う」ことで、結果同じになると考えたのである。これは不思議な比である。

 

古代ローマでは配分的正義を幾何学的比例に従って行われるものと考えた。正義の識別は「権利変動論」にあった。このことからイェーリング氏は「私法において蒔かれた種が、憲法国際法において実りをもたらす」と考え、「諸国民の政治的教育の本当の学校は、憲法ではなく私法である」と読んだのである。これもまた不思議な比であるが正鵠を得ている。

 

参考

「異類に成る」歌・舞・遊びの古事記   猪股ときわ 著

民法の体系」市民法の基礎 第6版    松尾弘 著