情報公開論

忘れないための復習は何度も必要だ。反復は「差異」の認識だからだ。デリダ氏は「現前」を、いつも同じように考えなくても立あらわれる「根拠ない前提」であるという。それは記憶ではない。特にこの曖昧さは倫理や道徳や規範という大切なところにあらわれる。この「現前という根拠のなさ」(同一性)は実は、「思考停止」を意味している。根拠がなければ展開できないと思い込んでいるし、それが近道だと信仰しているからである。

現代この誰でも知っているという思い込みに「公開」という透明性が突きつけられた。それが租税法律主義や罪刑法定主義や予算法律説である。曖昧な思い込みや誰もが知っているという暗黙の了解から、「事前に示された透明性という公開」が、「情報」として時代に定義されたのである。これがいま目標や目的、夢の実現の定義を変える。

アイルランド演劇には神話もあるが、そのアイロニーはすべて「思考の停止」の前に突き付けられたアンチ・シアターのドラマツルギーを示す。我々は舞台の前で、絶えず少数者のように考えることを強いられるのである。

つまり白黒をつける前に、透明性の前で絶えず前を遠く見通し、不確実性を思考しながら、歩みを進めなければないのである。白黒をつけてそれで「終末」ではない。

 

参考

アレントハイデガー」政治的なものの運命   デーナ・リチャード・ヴィラ 著

「現代アイルランド演劇入門」現実と喜びのドラマ    前波清一 著