自生的秩序

社会秩序は人間の行動の結果であって、彼らの意図の結果ではない。つまり個人は根本的に不完全な状態にあり、欠如の状態にある。自らの支配者でもなく、社会的な支配者でもないこの個人は、自らの自己同一性を作り上げるためには、どうしても他者が必要になる。

しかし単純に「羨望」ゆえに「別の人の境遇」にとって代わるという行為(自己犠牲)には難題がある。誰も自分の境遇から離れたがらないからだ。ゆえに別の人間に取って代わったならば、単純に苦労なしに恩恵を享受することはできず、選好を変えず自分自身に留まるように立派にやってゆかなければならない。ところがわれわれは現実の人間としてこのことにあまり用心してはいない。

人間精神は人間相互間にとっての鏡である。自己は他者をたえず参照する。歴史上目立った断絶がないのも、進化の遺伝子が他者との入れ替え(鏡映効果)になっているからである。

社会主義は資本主義の「犠牲と羨望」という図式の中でたえず「不足の経済」として現れる。がしかしそこにはインセンティヴやモチベーションの問題はなく、互助と連帯の自然の場としての「ゆるい社会」(アダム・スミス)が本来性として立ち現れる。「時間を殺し」、相互に融通・支援し合うことで、私的生活と集団生活に折り合いをつけ、余暇(豊かさ)をつくり出し、楽しむことによって相互に「生きる」他ないからある。

 

 参考

「犠牲と羨望」自由主義社会における正義の問題    ジャン=ピエール・デュピュイ 著

「歴史としての社会主義東ドイツの経験    川越修・河合信晴 編