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差異能(才能)という錯覚

聴き比べは罪深い遊びである。さまざまな演奏家が努力の末に成し遂げた仕事を、これはだめ、あれはよいと断罪する。

聴き比べは悲しい遊びである。断罪するだけではどこかに不満が残る。

 

それは人生と同じだ。貧しく生まれたから悲しい人生というわけではない。才能に恵まれていないからといって罪深いわけでもないが、この比べるという言葉で人生の何かが変わってしまう。比べられるということが、人生に等しくなってしまうからだ。

人は聴き比べること(才能への努力)で本当に成長するのだろうか。むしろ「比較」の悲しい、罪深い、才能(差異増幅)から離れ、独自の道(多様)を歩んだほうが、確かな己の人生だったと、天真爛漫な天才なら言うであろう。

 

  ー「複製技術時代の芸術」という隘路についてー

 

参考

「クラシック魔の遊戯あるいは標題音楽現象学」  許光俊 著