啓蒙的個人主義から個人の良心へ

ヘーゲル氏まで行かないフィヒテ氏に留まる。弁証法の対立まで行かない「光と影」の「重ね合わせ」を紐解くのである。

矛盾の前に立ち、直前までの状況が重なる時、国家が政治に、政治が国家に、影響を与えると言う逆転現象が、その光と影を相互に見せるのである。

集合論と論理学の交わるところ、未来が過去に、過去が未来に見える。国家が政治を説明するのではなく、政治が国家を説明するのだ。

フィヒテ氏は個人主義から社会主義へ歩まず、社会的制約のほうから個人人格の自立ということを考えた。この「我の自覚」からはじまり、その物足りなさから「社会的自我」に行くのは小林秀雄氏も同じであり、ここにあるのは「啓蒙的な個人主義の理性」とは違う「原プロテスタンティズム」の「個人の良心」と言ってもよいと、丸山氏は言った。

 

参考

定本「丸山眞男回顧談」(上)   松沢弘陽 植手通有 平石直昭 編