伝統の超越性

「記憶のモーメント」について語るべき理由があると考える者たちが出て来た、と本書は言う。それはマジョリティの利益に適っていると思われる公式の歴史によって無視され、あるいは完全に隠蔽されさえしてきた支配的な歴史に対し、伝統の超越性を主張する時代が来たことを示す。しかし伝統には宗教支配が歴史上拭い去れない。ゆえに宗教を逆手に取り、解体と再生の神的超越性を伝統にも生かし、民に再び与えるのである。

 

つまり支配宗教からの脱伝統は、新たな伝統の再生装置となる。伝統の系の断絶は「人間存在の深み」を危機に陥れるが、自分たちの伝統ではないものからの離脱は、超越的に可能であるとするのが「救い」である。伝統の喪失からの解体と再生は調停する場として、可能性の場として再び登場する。そしていかなる遺言も記憶の遺産を保証してくれない以上、歴史学は、伝統の延長にあるものではなく、伝統を逆転させたものとなる。

 

ゆえに伝統は、原則的にはいつでも可能である。記憶に対して距離を設けることも重要であり、「未来への移行」を果たすためには、新しい時代に合わせて文化を現代化し再生させなければならない。過去の遺言が前もって進むべき道を決めるようなものであってはならず、遺産を継承する者たちに自由の余地を残しておく必要があるからだ。

 

こうして伝統と言う曖昧性は解体され現代力の読解で再生されるのである。

 

参考

「記憶の未来」伝統の解体と再生   フェルナン・デュモン 著