共同と公共(大乗)

考え方の好きな人物に、ひろさちや氏がいる。

 

出家者だけが仏教徒で、在家信者には救いがないというのは、プロとアマ(小乗と大乗)の違いに近い。プロは職業人である。しかしその権威が、戒律をすべての人々に強いるものではない。自分だけが守ればいいものだ。生業に下がって考えれば誰にでもわかる。出家至上主義は専門化し、しかも共同を見ない。こうしてルールをアマチュアに押し付けようとすることは、公共団体の権威肥大化につながったのである。

 

「捨ててこそ」、一遍上人は沿う。「他力」は信仰である。そこには「無」と「空」があるが、自己とともに神(エリート性)への信仰をも捨てれば、「誰もが救われる」他力の出現(共同という予定調和)があるというのが、その所存である。

 

参考

「日本仏教史」   ひろさちや 著