応答可能性

なぜ、デリダ氏の思考が「難しいのか」に答える。そこにある鍵は、「応答可能性」を考えることで得られる。応答は「反応」のように単純ではない。自己を失う可能性があるからだ。つまり応答可能性とは紋切り型の応答というコミュニケーションではない。

日本で言えば「禅問答」や一休さんの「頓智」がヒントになる。欧米で言えば「トリックスター」から生まれた「ユーモア」(ヒューモア)である。ヒューマン(ヒューマニズム)はこうして登場する。

デリダ氏やレヴィナス氏は「責任論」において応答可能性を「暴力の形而上学」の不条理のなかで再考した。もともと応答は絶対者(神)や権力者の「命令」(定言命法)への答えの決まった応答(名詞化)であった。この回答は一つしかなく「イエス」である。こうして「確実性」というコミュニケーション「神話」が生まれた。「バックグラウンド」を知らないお互いの状況の中でもコミュニケーションが「できる」という神話である。ここには「隠蔽」がある。

それに従えば、人に自由はない。ゆえに脱構築のコミュニケーションを人は「公案」した。直接「衝突」しない柔らかい「はぐらかし」に近いものを発明する。しかもこの受け答えには、そこで「停止」完結してしまう「法文」(正)はない。人は自らの命を、命令と衝突から守るために、広がりの思考(センス)を持つ「ユーモアや頓智」で即答したのである。

「英知」は既知コミュニケーション(応答)にはない。新たな応答への柔軟な模索であり、ヒントを含めている。

 

参考

「〈ジャック・デリダ〉入門講義 」 仲正昌樹 著