相互行為論序説

本書は非常に難しいところを語っている。どこまで迫れるかはわからないが、読み進むしかない。それも一つの「相互行為論」であるから、本稿は「序説」となる。

 

たぶんリアルに生のまま伝えようとすれば、それは「エスノグラフィー」のようになるが、辺境すぎて感覚がついて行けないだろう。そこでお互いの「解釈」のために「推敲」が生まれる。そしてその過程で、まるで別の時間や感覚を得るのは、読み手だけではなく推敲の本人でもある。

 

現実には「語りづらさ」と呼ばれる「社会化」があるが、それは「制度の見せかけの優しさ」に反論できない巧妙な「差別」という合理性だけで「つくられた」社会があるからであろう。

 

こういう「優しさの社会」という制度には、得てして「刺激と応答=責任」という大切なところが置き去りにされている。区別化で「普通化」しようとするのである。しかしそれでは「語り合うことの拒否」であり、「言葉を得る」ことにはならない。

 

相互行為には優しさの施策(区別・制度)だけではなく、「責任」が通っていなければならない。それゆえ「責任ある衝突」(推敲)が「本来の世界」を変えて行くのである。

 

参考

「色覚差別と語りづらさの社会学エピファニーと声と耳   徳川直人 著