包摂と排除(数論から集合論へ)

確かに「社会的安全」を網羅するためには、準備が必要であった。

 

しかしそれは「配分という経路依存性」(経済)だけを意味するものではない。そこから必ず生まれる「包摂と排除」を「次元」で考えなければならない。

 

例えば国家は個人を包摂すると考えるかもしれないが、個人の方が国家よりも大きな「集合」であり、逆に包摂している可能性は高い。

 

国家集合と個人集合はお互いに経路依存だけではなく、包摂と排除という集合論的関係を持つ。たぶん先に個人関係に包摂と排除が起こったのではない。むしろ良かれと思う国家政策という分配の経路依存により包摂と排除は触発されたである。

 

配分という経路依存に頼れば、それは単純な「数の論理」ということになる。しかし数の論理でも現代は集合論的な数の論理(包摂と排除)から考えなければならない。

 

この次元違いは、「集団の論理」ではなく、自立と再創出を「個人」にもたらす「公共性」の新たな創発であるも考えられる。

 

しかし民主主義は手放しで喜べるものではない。その展開に「ブラック」な側面が現われるというのが、民主主義に次元層がつくられるあらたな説明である。

 

参考

「歴史のなかの社会国家」20世紀ドイツの経験  辻英史・川越修 編

「規律と教養のフランス近代」教育史から見直す  上垣豊 著