「マルチ」という民主制の起源

本書は、「職業としての政治」や「職業としての社会貢献」を洗浄する。

 

民主政とは本質上、一人のヒーローに永続的な権限が集中することを嫌うものである。であるからたとえ功労者であろうと事によっては民衆は「弾劾裁判」をも用意した。

市民は専門技能ではなく、家の経営(オイコス)と市民としての日常を精神的にも肉体的に「まんべんなく」こなした上での自由の能力を自ら育てた自足的な人格でなければならなかった。

古代民主制がこの専業・専能ではない「アマチュアリズム」の価値観を選んだのは、人間には本来「あらゆる能力が潜在的に備わっている」のだという価値観が横たわっていたからだ。能力が専能だけではないことを知っていたのである。

それゆえ忙しい市民として様々なことに時間を割き、分配しようとしたのである。

つまり日常生活を免除されてなされた功労や偉業には、「市民生活の実情」を知るものが何もない空虚なものである、ということが前提にあったからだ。

仕事や家族にも目を配りながら、社会を育て治安する、それが民主制(当然の生活様式)だったのである。個人の無限の可能性に期待し、生活における時間配分を考えさせ、己も市民であるという実情を理解した人格代表に、責任をたくしたのである。

自由の作り方と責任は、こうしたアマチュアリズムのバランス(マルチ)から生まれたのである。

民主制は、「多数決」という単純化の帰結ではなく、複数(マルチ)の能力を持つ個人の育成という意味での「市民概念」の生誕である。

 

 

参考

「民主主義の源流」古代アテネの実験   橋場弦 著