時制

「取引」と「交換」の差異を歴史的に考察する。

 

社会は単なるバラバラな分業の総和ではなく、むしろ複雑な分業のおかげである。

しかし「絶対の基準」などないゆえに、正義も「社会の範囲」で語られるものであり、「相互性」の概念と密接な関係にある。

 

人間関係の相互作用には「交換価値」があるが、それはやがて「取引」という「社会契約」となり、それが公正の正義(法)、分配の正義(経済)となる。

 

しかしその取引は「合理的期待価値仮説」に近い潜在性を誘発することになる。「能力」主義である。取引は交換とは違い、能力を「期待」するようになる。使用価値における物の能力期待(イノベーション)と「労働」において最大限の能力を「引き出す」という逆説である。

 

能力中心主義は「今ある状態を勘案しての等価交換」ではない。それは見えない未来にも期待して、現在を無視する「非対称性の交換の場」となったのである。

 

「価値」が同等とみなされた「現時点」での人間が、必ずしも「能力」においても平等であるわけではない、とはそう言うことである。これが正確な「雇用,利子および貨幣の一般理論」である。

 

 

参考

「正義はどう論じられてきたか」相互性の歴史的展開   デイヴィッド・ジョンストン 著