本書の重要性が認識されるまでそれほど時間はかからないだろう。

 

リアルということは、本物そっくりということで、そこにカーテン(額・蔦)を引いて、それを自己言及させようとすることだ。

 

それは写実性とそこにあるもう一つの空間の「平面開示」である。つまり目を欺くということは、迫真性に迫るという逆説を自己言及しているのである。平面の中に平面を描くというこの二重化は、2.5次元である。静物画はこうして生まれた。それは静物(死んだ自然)ではなく、人間世界で「生きていた」のだ。

 

建築空間もまた、こうしただまし絵により挑発された。「背景画」という舞台空間は、カーテンを引いて、絵(布置)を見せようと強要したのである。

 

やがて絵画平面内の切り絵や貼り絵(ブリコラージュやアッサンブラージュ)は、「オブジェ」という概念を生む。実はこのオブジェの誕生こそ人間にとっての「物」認識の誕生であった。絵画につるされた物(オブジェ)はだまし絵に相反する。しかしそれこそが、さらに物にも人間にも共通し得る「自己言及」を許したのである。

 

画布(表象)は画布(表層)でしかないが、それが表層の「戯れ」であり自己言及の引き金であると本書は言う。1枚の絵が1枚の絵を覆っている。それが「描かれたカーテン」である。こうして、「だまされること」(意味するもの)と「だまされないこと」(意味されるもの)の関係は、リアリティーと修辞学(レトリック)の関係として、開示されたのである。

 

参考

図説「だまし絵」もうひとつの美術史  谷川渥 著