労働形態から新たなシティズンシップへ

かつて逃走は、旅行、発見、知への渇望である。アリストテレスコロンブスやガリレオはその例である。現代「日常の陳腐さ」は留学への憧れであり、ドリームである。しかし現在、経済力のある国に知やドリームはない。移動に現実味がないのである。

 

ゆえの資本主義的生産様式の全歴史的軌道を通じて、数々の離脱行為というものは、労働の移動性の主体的次元を体現するものである。しかしそれは資本主義の発展が労働者たちの闘争を規定するわけではなく、労働者たちの闘争の方が資本主義の発展のあり様を規定するというアプローチに象徴される。

 

今日境界性や排除が帰環的に議論されているが、その退屈や夢のなさから、時代はインターネットの流動性に傾いている。がしかしこれはかつての労働形態をとらないゆえに、本質的な「生産」という意味を労働側面からではなく、シティズンシップの側面から変更しつつある。

 

参考

「逃走の権利」移民、シティズンシップ、グローバル化   サンドロ・メッザードラ 著