本能とリスク

現実に、自分の「すぐそばにある」ことよりも、「不在」ではあるが「心」にいつも付き添っているものが大切である。それがなによりの安定性・蓄積性を示すからだ。

 

心のなかにあるもをだれも生産していないのではないか?だれもこの世界という人工物を「本能的に」望んでいないのではないか?アラン・グリーンスパン氏の「アニマル・スピリット」論は、それらについて豊かな示唆に富んでいる。

 

本能は「早い」判断を下す。天才のアイデアも「本能」のように突然直観として降りてくる。つまりイノベーションは本能に似ている。しかしアイデアは「知の蓄積」なくしては降りてはこない。ならば本能もただの早とちりとは言えない面を持つ。本能は決定論でもなければ、自由意志でもないが、本能にも「歴史的蓄積」がなければ、「経済」は「満足」というものを人類に与えられなかったに違いない。事実人類は本気で経済を「育てている」のだから。

 

「大きすぎて潰せない」ということは、「規模の経済」が最早見いだせない「リスク」でしかない「縁故資本主義」(政府と企業・組織の縁故)である。一時的に救ったら、その後は競争淘汰に任せればいい、効率や資本の最適分配が悪いのだから潰せばいいのだが、だれもがそのことを忘れ、「延命」させてしまうのだ。これが「システミック・リスク」の可能性を生み出す「危機管理の失敗」である。

 

つまり「政策が成功したときは要注意である」とアラン・グリーンスパン氏は言う。イノベーション(競争淘汰)を阻害する「ゾンビ企業」へのテコ入れと政策は同じだからだ。これが次に必ずくる「バブル現象」の真相である。

 

アラン・グリーンスパン氏という人は、そのアイデア(天才)を天(本能)から絶えず受けてきた人だったのである。

 

参考

「リスク、人間の本姓、経済予測の未来」  アラン・グリーンスパン 著