集団と個人の現在

集団の意味と個人の意味を問う。

 

日本の人口密度は古代より高い。人口密度・集団化の強みは従来の解釈を時系列で超えている。それが新解釈である。集団は「事後」の分析に都合の良いサンプルを形成する。それは農耕や相互扶助や生産性という「事前」が人口(生と死)に直接影響してきたわけではないことを教える。人々の生き方は集団レベルでの出生と死亡のパターンに強く反映されていた。集団であることで、分散した居住であるよりも「統計」を感じやすく、歴史的にも生死に対し統計(発掘)に目を向けるようになったからである。ここから「集団」においてだけ、学問性と感性の精度が上がったのである。「過去の出生と死亡に迫る」ということはそういうことである。

 

それからもう一つ、個人について。ありえないことは起こるということ。起こりえないことも起こるということである。ロト6の一人大当たりやヘッジファンドの一人勝ちは、現存在している。こうした起こりえない「低い確率」を「人為」の環境で作り出すことができるということ、それゆえありえない一人占めの経済を事前に作ることもできるし、「起こりえない・ありえない」大災害を個人が引き起こす可能性も十分にあるのである。

 

 参考

「ヒトはこうして増えてきた」20万年の人口変遷史  大塚柳太郎 著

「偶然の統計学」   デイヴィッド・J・ハンド 著