過去自体

自然主義的に考えれば、自我の「単独的存在」は認められない。もし単独で自我があるとすれば、それは虚構である。

 

では自我の起源は?

 

発達心理学等では、自我は「ある」ものと考え、その成長段階だけを追っている。

しかし自我は社会と同時発生、相互発生的である。権利や制度という社会の元で、自我はその都度、「認識」のように生まれ変わっているからだ。

ゆえに自我はその時代との「かかわり」の矛盾を体現している。

 

では自我は「社会的制度」にすべて回収できるであろうか?

自我はその都度、現時点での社会的「解釈」が込められた「過去物」なのか?

 

司法の場で刑事事件を裁く裁判官が免罪を引き起こさないために、公正なる裁判を下すために、いまさら「過去自体」なる亡霊を呼び出す必要は本当にないのであろうか?

 

たぶん自然主義的に考えた「過去自体」に自我は存在しない。

そこに自我があるなら、必ず「社会」という虚構の理念も存在していたはずである。

 

 

参考

「エゴ・トンネル」  トーマス・メッツィンガー 著

大森荘蔵 ー哲学の見本」   野矢茂樹 著