国家から都市へ(地方分権自治と人権の再興へ)

オバマ大統領は、「もはやアメリカは世界の警察ではない」と宣言した。

こうして世界の「無極化」は始まる。我々はこの意味を歴史的に遡及して行くことになる。

 

古代ギリシャは、国家を知らない。「都市」(ポリス)が近現代により「国家」と誤訳されたのである。次に来るローマ時代が「覇権の時代」だったことがら、その誤訳が誘発したと思われる。都市の拡大が世界覇権であり、それがサイズとしての「国家」と理解されたのである。

 

しかし「都市」は近現代、「地方自治」の起源である。権力の分権とその責任が萌芽にある。アメリカは州制度というスタイルを都市の拡大ではなく分散(開拓)として集約した。日本の地方自治は移植されたその本旨を理解できず、都市は数多く隣接しているが、中央集権と地方自治の意味の輪郭は、不明瞭のまま残ったのである。

 

こうして現代の、「責任ある都市を持たない権威主義国や多国籍企業」という「非国家主体」と言われるパワーの台頭は、地方自治の整備を持たない「国家」にすり替えられ、世界の「無極化」と代理表象されてしまったのである。地方自治とそれを持たない国、それが「国家間」と錯覚され、「都市の中心」が誤解されてしまったのがその正体である。

 

ゆえにこれからのパワーゲームは、国家間(錯覚)ではなく、都市という地方自治の「人権」の精度から、世界規模でふたたび図られることになる。

 

 

 参考

「都市と人間」  レオ・シュトラウス 著

『「無極化」時代の日米同盟』  川上高司