問題との出会い

自分のライフワークともいえるものが、毎年この夏の時期に訪れる。神田の古本屋をうろついていたあの頃。

 

「発生」という問題はすぐに「二元論」を彷彿させ、必ず「矛盾」に終わる。このことに初めて気づいたのが、デリダ氏の言うようにフッサール氏である。プラトンにもアリストテレスにもありそうだが、やはりなかったのだ。

 

「発生という主題と主題の発生」は「超越論的」な「先取り」という矛盾を必ず含む。そして「結果と原因」という物理的二元論の正当化を生み、「理性」という近代認識論を生み、それが逆にカオス論を導いた。その意味で「発生」の問題には確かに意味があった。

 

先行した「経験」はいかにして可能であるのか?

先行という「審級」の「立ち現れの矛盾」がそこには「時間性」としてある。

しかし「先取り」と「アプリオリ」な総合は、経験論的次元での「制約」ではない。

 

たぶん「志向性」はフッサール氏のいうように「超越論」と「綜合」に深く結びついているのだ。「契機」の問題も「起源」の問題をも含んでいるからだ。

 

 

参考

フッサール哲学における発生の問題」 ジャック・デリダ 著